凡夫に解脱の道は遠い

808 シングルのカソードチョークドライブ化、gigawork DAC 改の導入により、なかなかストレートな音で音楽が聴けるようになった。信号系統にトランスが3つも入っているアクの強い構成だからこれがハイファイであるなどとは思わないし、オーディオ的に良い音でもおそらくない。ただ俺にとって音楽を聞くという行為に寄り添う音だという話だ。

じゃあこれでもうオーディオのことなんて考えなくていいじゃないか、と理性は訴えるのだが、そうはいかないのがオーヲタの悲しい性である。シャンカラは『ウパデーシャ・サーハスリー』において、「私が輪廻するのは私の本性なのでしょうか」と問う学生に対し、「それは君の本性ではない。無明という原因を明智によって取り除くとき、君は最高我であるという本質に立ち返る」というようなことを言っているが、「これが良い音である」という明智に到達できないのが凡夫の浅ましさなのだ*1。まだまだ「もっとよくなるはずだ」という根拠のない欲望に突き動かされ続ける。

もっといいトランスを使ってアンプを作ったらどうだろうとか、そもそもトランスドライブを試してみたいとか、様々に余計なことを考える。何を実現するのかしないのか、優先順位を考えながらあれこれとおそらくは不要な行為を繰り返していくのだろう。

*1シャンカラによれば明智とはヴェーダウパニシャッドの知識であり、それらを正しく知ることで解脱できると言うが、オーディオにはヴェーダウパニシャッドのような予め与えられた権威は当然ながら存在しない