2008-08-02

なにかとやることが多くてなかなかアンプの製作はじめオーディオにかかわることができず、この日記モドキも放置気味な今日この頃である。

さて、オーディオという趣味の目的は「いい音で音楽(じゃない場合もあるだろうけど)を聴くこと」に尽きるだろう。で、「いい音」を追究するとすれば、多くの場合それはコストに比例する。高い機器は多くの場合たっぷりと研究開発費を積み、いい部品を使い、優れた製作者の人件費もかかっている。さらに、所謂ハイエンドをショップから買ってきて並べることにも飽き足らなくなると、有名な製作者に特注したりすることも考えられる。もちろん置き場所も大切で、専用の広大なスペースを構築している人もいる。てことは、いい音を楽しめるのはごく限られた大金持ちだけだということになる。

どんな趣味でも、腕以前にいい道具は必要で、名人は道具を選ばないなんてのはよっぽどの名人にのみ通用する話だろう。じゃあその道具を買えない貧乏人はどうするかというと、邪道に走るわけである。自作なんてのは「いい音」の追究からすれば邪道もいいところで、例えばオレごときがどんなに頑張ったところでその道のプロがコストをたっぷりかけて作ったものにかなうわけがない。じゃあなんで自作なんかするかといえば、それが面白いからという以上の理由はない。もちろんある程度の結果が伴わないと面白くないから、やる以上は真面目にやるわけだけど、オレみたいなひねくれ者は「真面目にアホなことをする」ことに喜びを感じたりもする。そのあたりが長岡氏がいうところの「手段と目的の転倒」につながるのだろう。

どう見ても低周波用じゃなかったり歪みが多い球を使ってオーディオアンプを作るとか、ちっぽけなフルレンジユニットでスピーカーを作るとかいうのも「アホなこと」の範疇に入る。真剣にいい音を追究するならば、元々の素性のいい部品を贅沢に使うべきなのであって、わざわざそれをしないのはそもそもそういう素性の悪い部品を何とかだまくらかすことが目的化しているからである。

オレのように技術もなければ感性も欠落しているような人間は、「こんなもんでもちゃんと音が出る」という水準の達成感を追究するのが関の山だ。こんな日記モドキを読んでる人も少ないと思うが、「こいつまたこんなアホなことやってら」と笑っていただければ幸いである。