生音

で、読響を聴いてきた。ロジェストヴェンスキー指揮でオールフランスなプログラム。オレはどうもフランスものとは相性が良くないが、少なくとも演奏自体は楽しめた。ロジェは面白いおっさんである。

いつも思うことだが、定期会員なので同じオケを同じホールの同じ席で聴いていても音が毎回違う。指揮者によっても違うだろうし、編成によっても違うし、配置によっても違う。今日のロジェは比較的弦のエッジを立てるという感じの音に聞こえた。聴覚は物理的振動がそのまま脳に直結してるわけではないから、聴く主体の何らかの判断が働くわけで、縦令物理的にまったく違う音でも同じに聞こえるかもしれないし、逆にまったく同じ音でも違って聞こえる場合もある。

「原音」なんて考え方は人間の認識についてのごく基本的知識すら欠いた妄言に過ぎないけれど、オレが基本的に電気屋を信じないのはそこである。電気屋にとっては物理的に同じものは同じなのであって、それを超えるといきなりオカルトになってしまう。ひどくナイーブな経験論に立脚していて、「違うものは物理的に違うのだから何らかの根拠があるはずだ」となってしまう。電気屋は科学者ではないので疑似科学と科学の区別がつかず、疑似科学に根拠を求めてしまうか、もしくは相関関係と因果関係の区別がつかない。なぜ違うように認識されてしまうのかを考えればすむことなんだけれど。「原音」ならそれで何をもって原音と呼ぶのかという概念規定を誰もしない (そもそもできない) から、ありもしないものを大枚はたいて追いかける不毛な結果になってしまう。

いやー、具体的なネタがないから妄想ばかり垂れ流してしまうよ。金はないから、部屋を掃除してセッティングでも見直すかなあ。