コメントにお返事

コメント欄が膨大になってきたので、こちらに改めてエントリを。コメント欄へのお返事。

>> screw さん。今日やったことは、まず (1) ツェナーをそのまま半田付けしたらハンダが融けた→ (2) 半田付け箇所を瞬間接着剤で補強→ (3) 今度はちゃんとベース電圧が計算通り出て、コレクタ電圧も回路図通り。しかしエミッタ電圧が出ないので、トランジスタを新品に交換→ (4) 接着剤ごとツェナーが逝き、とうとうヒーターも点灯しなくなった。ヒューズは飛んでいない (号泣) ……というわけです。 もちろん極性は元々付いていた部品の通りですし、(3) から判断するとここまでは間違ったことはしてないと思うのです。もう何が何だか……。私には無理みたいなので誰かに頼むことにします。しかし、今日なぜかダイナコの一本の球の下あたりから火花が飛んで、球の中に一瞬青い火花が見えたんですが、その後何事もなく動いています。中を見ても特に抵抗が焦げたりはしてない。おそらく何かの拍子にショートしかかったんだと思うんですが、球は丈夫だなあ……。

>> GALA さん。機器そのもののブラックボックス化は大きいですよね。LP や SP であれば、信号が目に見える形で記録され、振動が音になっているのを目でみることさえできる。それがデジタルが主流になって、構造が隠蔽されてしまった。それでもオーディオに興味を持つような人間にはおそらく介在への欲望があって、そうした欲望を汲み上げたのがアクセサリーであり、それがまたボードリヤール的な記号化された微細な差異としてのオカルティズムをも生み出したんでしょうかね。仮想現実というは易いのですが、リアルへの渇望はヴァーチャルと裏腹に脈々と存在している一方でそのリアルが無限に分裂しているから (「情報」!) 自分が求めているリアルが何かさえわからなくなったユーザが多くなってしまった、という仮説を今思い付きました。遊びとしての消費が何かリアルを運んでくるんじゃないかというある種カーゴカルト的信仰なのかも。

あと、ロック的文脈としてのクラシックという話ですが、私が聴くクラシックって、アルヴォ・ペルトとかラウタヴァーラとかみたいな、調性を失わない現代音楽が多いんです。私がいちばん好きな音楽は70年代末から80年代前半の、いわゆるポストパンクというか、ごつごつした内面や社会への絶望を形にしたロックなのですが、そういうのを聴くのと同じ聴き方で聴けるんですよね。逆に、少なくとも20世紀の声が聞こえてこないとクラシックは厳しいです。モーツァルトはさっぱりわからないし、ベートーヴェンは古典的旋律が鼻に付いてしまう。マーラーラフマニノフの過剰さはすんなり理解できるんですけどね。いちばん好きなのは後期のバルトークで、たとえば大好きな The Drutti Column なんかを彷彿とさせる。音楽からなにかそれこそリアルな精神を聞き取りたいわけで、それがクラシックになるとサウンドスケープ的美を具えているという違いがあるだけなんですよね。あんまり論理的な聞き方ではないのでうまく説明できないんですが。