手を動かす

mixi でだらだら書いたことのコピペおよび追加だけど。

オーディオで音楽を聴くことと楽器の演奏の関係については今まで不毛な議論が繰り返されてきてるわけだが、疑問なのは楽器が全くできないオーディオマニアがかなりいるらしいこと。

そういう人の言い分として「演奏家は耳が悪い」「レコーディングエンジニアは耳が悪い」「楽器を弾くと無駄なプライドが邪魔をして音を分析的に聴くことができない」「演奏などしなくても生演奏を聴けば楽器の音はわかる」などというものがある。

まあこんなのはコンプレックスを表明してるに過ぎないが、そもそも楽器が弾けることは別に偉いことじゃない。もちろんうまい人は偉いし、プロの人なんて神さまみたいなものだ。でも、大半の愛好家は下手な楽器を演奏して楽しんでるわけだし、上手下手以前に手を動かして初めて分かることも多い。オーディオでいうなら、楽器がどうやって鳴ってるか、演奏するってのがどういうことなのか、を垣間見た経験があれば、自分の出してる音がリアリティを伴うものかどうかの判断の材料になる。ていうか、自分にとってのリアリティが明確になるから、目的がはっきりする。これはプラスだろ。

俺だって人に自慢できるほど弾けるわけじゃない。明らかに下手の部類である。ただ一応エネルギーのかなりの部分をギターを弾くことに投入してた時期があって、今でも手慰みにつま弾くことは多いので、まあ楽器を弾く人の側に入れてもいいと思うが、そういう俺からするとなぜ音楽が好きなのに自分でやろうと思わないのかが謎だ。絵が好きなら描いてみる、野球やサッカーが好きなら自分でプレーしてみる、オーディオが好きなら自作してみる。どれも難しいことじゃない。こういうのって当たり前の思考回路だと思ってたんだけど、どうやらそうじゃないらしい。

四の五の理屈をこねる前に手を動かしてみればいいのに。ものにならなくたって楽しめればいいし、どうにも自分に才能がないことを自覚しても、それも立派な経験だ。

どうも、経験することを軽んずる風潮があって、それはよくないことだと思う。そこにつけこんでか、真空管の世界でも、「双極マッチング」とか「整流管のマッチトペア」とか、意味の分からない売り文句でものを高く売る業者がいたり、回路だけを見て「こんなものはクズだ」と言明する自称事情通が多かったりする。アンプのキットを売ってるある会社の人によれば、「○×のコンデンサを使ってないからこのアンプはダメだ」みたいなことを言う人とか、「多極管のアンプを売るなど、君はゴミを売っているのと同じだ」なんて人とか、色々いるらしい。もちろん実際にそれを使わずに言うわけだ。せっかく作っても、電圧の測定すらしない人が多数派だという。であれば、それがちゃんと動いてるかも分からずに、「こんなもんはダメだ」と判断してる人もいそうだ。

別に自作しなきゃダメだとか理屈を知らなきゃダメだとかいうわけじゃなくて(俺だって理屈なんて大概わかってない)、売られているものを買って使うにしても、色んな使い方を試して、それで判断した方が良いのに、名前やスペックだけで良し悪しを判断するんじゃつまらない。ある中国製の機械で、実際に買って使ってる人は皆満足しているのに、ある特定の条件での計測データが悪いことを理由に「アレはゴミだ」と主張する人が後を絶たないなんて事例もある。俺はその機械を使っていないから判断はできないが、どちらをよりまともな意見として参考にするかといえば、使って満足している方だ。そこのメーカーの別の製品は使っていて満足してるしね。

まあ、言葉でああだこうだ言い合いするのも楽しいけれど、だったら「紙のプロレス」のごとく、確固たる信念と芸を持ってやった方が面白いだろ。人をくさして安心するなんて、少なくとも俺には面白くも何ともない。