ありがとうございます

みなさん構ってくださってありがとうございます。寂しがり屋なんですわたし。自分の言葉をどこかで誰かが聴いてると思えないとすごく不安になってしまう。とにかく、落ち込んだりもするけれど、わたしは元気です (笑)。

それはそうと、「女性ヴォーカル論争」(笑) もそうなんだけど、オーディオマニアってのはとにかく棘を取り除いてつるぴかにすることが正しいと思ってる節があるような気がする。特に知り合いでもないんだけど以前一度だけある会で一緒になった人がいて、その人がつまんないアンプやスピーカーを使ってるのにケーブルがどうのインシュレータがどうのと叫んでて、きわめつけに「女性ヴォーカルを色っぽく聴きたい」なんてことを言ってて、なんか感性の摩滅というか知性の敗北というかそういうのにげんなりしたことがある。オレにとってはその人がオーディオマニアの一つの典型としてインプットされちゃってる。

オーディオ的褒め言葉として「聴き疲れがしない」っていう言い方があるけど、音楽ってのは聴いてて疲れるものでしょ。それをよしとすることは、そもそも疲れるような音楽は聴きたくないという意思が反映されてるように思うんだよね。例えば今ちょうどクラプトンが来てるけど、クラプトンが好きなオーディオマニアは多い。でもそこで聴かれるのは精々ここ20年くらいの、枯れてレイドバックして綺麗なメロディーの曲をとつとつと歌うクラプトンでしかない。60年代のクスリ漬けで切れまくってたクラプトンは顧みられない。聴きやすくて分かりやすい音楽の一つとして消費されてるだけなんだよね。あと録音がいい。

そういう風に考えてみると、音楽の個別性とか音楽家の実存とか、そういうものをないがしろにしたところにオーディオという趣味が成り立ってる気がして、うんざりしてきちゃう。アコースティックなボサノヴァっぽいのを歌ってたシンガーが打ち込みに走ると途端にそっぽを向かれたりとかさ。というわけでどんどん孤立してしまうのでした。