副産物

自作がもたらす感覚ってのは、要するに「アンプって自分で作れるんだ」っていう実感なんだと思う。縦令作ったものがごく単純でしょぼいものだったとしても、自分で回路を考えて配線を考えてシャーシに穴を開けて作ったものからちゃんと音が出るという體驗は、結構ドラスティックな意識の変化につながる。真空管パワーアンプなんてのは電気的には大雑把なものだから、オレみたいな純粋人文系のド素人でも、単純な回路ならなんとかなってしまう。これがデジタル系なんかだと完全にお手上げだからね。DAC を設計して基盤まで作っちゃうエネルギーってのは凄いと思うよ。

で、一つ作ってみると、今度はこうしてみようとか、ストックの球を眺めては、これをこういう回路でこう当てはめたらどうなるだろう、なんてことを考える楽しみが生まれる。データシートのグラフも俄然意味を持ったものとして立ち現れる。ビンボーだから大規模で高級なものはできない(簡単に言えばタンゴのトランスなんて買えない)けど、安い球と安いトランスや部品の組み合わせで十分楽しめる。特に、ちゃんとした造りなのに、必要な電圧やソケットがヘンだからという理由で敬遠されてタダ同然で売られてる球(所謂駄球)なんてのはそそる。

そこでこのエントリのタイトルである「副産物」ということなんだが、こうなるとケーブルとかアクセサリってどーでもよくなるんだよね。もちろんだからといって電源ケーブルなんてなんでもいいとかいうことではないんだけど、たとえば電源コンセントの防振ネジなんてことより、B電圧をどれくらいにしてどう供給するかってことの方がずっと考えていて楽しいし、「本質」に触れているように感じられる。本質が何か、そんなものがあるのかなんてことはこの際どうでもよくて、そういう気がすることが重要。趣味なんて気の持ちようしか意味がないんだから。出てくる音に介在し、介在による変化を実感することもオーディオの楽しみだから、その介在がどういうものであるかは人によって違うだろう。ただ、自分でアンプが作れる(それはスピーカーでも、もちろんデジタル系でも)ことで、電気的仕組自体に関与できることがわかってしまうと、1万円のケーブルと10万円のケーブルの違いなんてことのプライオリティは下がってしまうのではないかということだ。

ということでここにド素人が一人泥沼に乗り出してしまったの図。まったく個人的には、昔からある平凡な回路の方にロマンを感じるし基本は重要なので、まずその辺をちゃんと理解できるようにしよう。こうなるとオシロや出力計なんかが欲しいなあ。高くて買えないけど。