今日買った CD

World As It Is Today.

最近少しずつ昔聴いていた音楽を集め始めている。なにしろ中学生や高校生は金を持ってないのでそうそう LP を買うことができず(その状態はバイトの収入があらかたスタジオ代と飲み代に化けていた大学時代も変わらない)勢い貸しレコードに頼ってたわけである。20年以上前の下北沢には輸入盤がたくさん置いてある貸しレコード屋が普通にあったわけだ。そういうところで借りてカセットに録音して聴いてたわけだけど、今やうちにカセットデッキはないし、テープも散逸しているし、そもそも当時使っていた機械がろくなもんじゃないので音も悪い。

そういうわけで Rough Trade や Factory、Recommended やもっと小さなレーベルたちの音楽が CD で再発されていたものを見かけると買ってるわけで、Art Bears のこのアルバムも手元に見当たらなかったので購入した。他にも This Heat のボックスが ReR から出るので予約してたり。ファーストは先に送ってくれた。買おうと思うととんでもない値段になってる Deceit がまた聴けるかと思うと嬉しい。その他、再発が流れてしまった The Pop Group の For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder がなんとか手に入らないかと。これまた凄まじい値段だ。

そういう音楽たちの当時の盤は、あるものは LP がレコファンの100円棚に放り込まれているし、あるものは万単位の値札がついてショーケースにうやうやしく飾ってあったりする。音楽の価値ってなんだろう。

Eonta / Metastasis / Pithoprakta Xenakis: Metastasis; Pithoprakta; Eonta

冒頭から高橋悠治の輝かしいピアノが跳ね回る。音の洪水みたいだけど時々はっとするほど美しいフレーズの断片があったりもする。コンピュータの無意識? きわめてテクニカルではあるが同時にむしろ素朴な音楽だ。古い録音だが音質はきわめて良好。

しかし考えてみればこの辺を作曲するのに使ったコンピュータの性能なんてほんとに限られたもので、クセナキスの理論を現代のスパコンに放り込んだら何ができるのか。サンプリングが容易かつ高性能になった現代において、技術は人の想像力を拡張しうるのか。ハイデガーによれば技術は支配する力であって、自然に向いた力は容易に人間に向かいうる。技術による人間の支配の一つの形がナチズムだとすれば、ハイデガーがナチにシンパシーを抱いた理由はその辺にもあるのかもしれない。なんとなくそんなことを考えた。