精神論

締め切り目前で絶対に終わりそうにない原稿の山を前に寝る時間もなくなって (明らかに自業自得なのだが) 半狂乱状態にあるこの時に頭に浮かんだことをメモっておく。

最近になって買ったものや改めて表舞台に引っ張り出したものたちを眺めていると、そこにある種の没入というか、対象への愛というか、そんなものを感じるのである。相対的に巨大で特性に優れる Music Goddess より、nOrh を聴いて安心できるのはなぜか。なぜ樽スピーカーなんて小さくて 100Hz から下はまず出ていないスピーカーがその他の大きなスピーカーを押しのけてオレの前で鳴っているのか。ノイズもなくて出力も大きい MeiXing よりも SV-2 を伴侶として選択することにしたのはなぜか。結構な残留ノイズに悩まされる ST-70 (改) が、音質では遥かに優れる Ella よりもいい感じに聞こえるのはなぜか。そんなことを考えている。

つまりそれは、それらがすべてある種の没入の結果生まれたものだからではないかと思うのだ。誰が設計したかがはっきりしていて、出そうとする音がはっきりしていて、その目的のために労力を傾けたことが想像できるからではないのか。簡単にいえば、好きで作ってるものたちなんじゃないか、ということだ。オレは大橋さんがいかにオーディオが好きでものを作っているかを知っている。売上高の数字は大きいけれど、大橋さん自身はちっとも儲かっていないことを知っている。nOrh の社長は nOrh からは利益を得ていない。今は本業のコンピュータ関係が忙しいようで正直 nOrh は半ば放置されてるみたいな状況だけど、もともとこのメーカーはタイでビジネスをしていた Barnes 氏が、自分の欲しいものを作ることでタイに雇用を創出するために始めたものだ。単純にオーディオが好きで、そのために安価でその範囲で可能な限りよいものを作ろうという姿勢で作られている点が共通している。ST70 だって、もともとは大量生産のキットだけれど、安価で高性能という理想が普遍的な価値につながって、多くの人が改造策を提案し、この古くさくてカッコ悪いアンプがいまでも多くの人に愛されている。そうした事柄への共感、なぜこのようなものが成立しているかを理解できるということがオレをして心地よい音に聴かしめているのではないか。

多くの中国オーディオ製品は、とても興味深いけれど、それは何らかの理想に裏付けられているとはいいがたい。そのコストパフォーマンスの高さは、全面的に通貨価値や所得水準の差に依存している。それなりに工業力のある地域でありながら世界的に見れば極端に給与水準が低いからこそああした製品が生まれてくる。残念ながら、未だなにがしかの思想を見出せる段階にはない。もちろんこの数年で蓄積された様々なノウハウが所与の前提となった時に、ある種の理想が中国の人々に生まれ、その思想に基づいた製品が生まれてくるだろうが。オレが中国オーディオ製品に質的には満足していながらそれに没入することができなかったのは、「ものの割に極端に安い」以上の価値を見出せないからではないのか。ついでにいえば、CD プレーヤーや電線の類では中国製に満足しているのは、そうしたものたちは「安くて質がいい」ことだけで十分だからである。

もちろんこれは寝不足の脳味噌が突如ひねり出した精神論であって、なんらの普遍性も獲得していないことは自覚している。でもなんとなくそんなことを考えちゃったので書いておく。