貧乏暇なし

10日間のご無沙汰でした。

仕事が本格的に忙しかったり週末は熱を出して寝込んでたりして(娘のエレキット時計作りには付き合ったが)オーディオどころではない昨今、できることといえば精々回路の妄想くらいである。中学に上がった下の娘には初年度なので何かと金がかかってオレの趣味に割く余裕もなし。仕事をしながら BGM をサブシステムで垂れ流しつつ、なかなかいい音なのでオレって天才かも、と悦に入ってみたりもする。まあそれくらいは許されよ。

この日記モドキもこうして日を開けつつもなんとか継続しているわけだが、自作を始めなかったらとっくの昔にネタ切れだったよなあ。ネタを作るために微視的な、それこそミリ単位のセッティング (笑) とかハイエンドオーディオ批判 (大笑) を始めるか延々と買い替え地獄を輪廻し続けるかしかなかったやもしれん。今更ネタにもならんが、Reich の教科書を少しずつ読み進めていたりもする。70年前に真空管回路のほとんどは既に完成していたのだと思うと感慨深い。オレは本業が古典学者なので100年や200年は最近だと考える癖がついているが、真空管そのものの発明が100年前であり、その30年後のこの本は当時の最新の知識の体系でもあったわけだ。ここに書かれていることを消化するだけでもオレの残りの人生では到底足りそうにない。古いものを理解しないと新しいことにも進めない。最近何となく、「カソードから信号を出すのは気持ちが悪い」と言った浅野勇氏の気持ちが分からないでもない。技術は進歩するが進歩するのは技術でしかない。技術の進歩は知識の増大を意味するが、増大するのは知識でしかない。その価値は人間が自らの生きる体系において偶然決定するだけだ。